茶の伝播と呼称
最初に茶の栽培が始められたのは4世紀中頃の中国、四川省でした。茶葉は容器の中で煮出され煎じ薬として飲まれ始めました。そして漢民族によって揚子江沿いの各地に広められ、紀元5世紀には製茶法も誕生し、商品化されていきました。中国での喫茶の風習は、隋代、唐代を通して一般化し、10世紀以降の宋代には喫茶文化として洗練されていきました。
現在、世界各国、各地で使われている茶の呼称は大きく分けて広東語系のcha(チャ)と福建語系のte(テ)の2つの流れがあります。広東語系のchaは唐代(618〜907年)以降に陸路から伝わったものであり、広東から北へ北京、朝鮮あるいはモンゴルへ、西へはチベット、ベンガル、ヒンディーから中近東を経て、一部東欧圏まで及びました。ロシアへの伝播はトルコからと、モンゴルからと考えられています。日本へは遣唐使やその随員の留学僧らによって仏教と共にもたらされ、寺院を中心に薬用として栽培され始めました。永忠と最澄が805年に、空海が806年に唐より茶の種子を持ち帰り畿内周辺に播いたという記録があります。広東語系のchaは古い時代より交易されていたものと思われ、主にシルクロードを通って伝播したものと思われます。
時代は大きく下り16世紀、大航海時代に入り、ポルトガル人によって中国や日本の喫茶文化がヨーロッパに報告され、紹介されるようになりました。そして17世紀になってから、オランダ人によって東洋の茶と茶道具、そして喫茶法が広くヨーロッパに伝えられるようになりました。福建語系のteは福建省のアモイと直接貿易を始めたオランダを仲介者として海路を経てイギリスをはじめヨーロッパ諸国、さらにイギリスを仲介者としてアングロサクソン系の諸国や中近東、アジア、アフリカの諸国へと伝播していったと考えられています。
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