11年間の紅茶に関わる取り組み

 月刊「茶」に投稿する機会を頂きまして、このほど紅茶に取り組んだ歩みを検証いたしました。この11年間で行ったことは資料としてまとめてあり、読み返してみるとよくもこれだけのことを成し遂げたと、驚くばかりです。そして時が過ぎるのは速いが、結果はゆっくりとついてくるものだと感じる次第です。国産の紅茶を産業として育てることの難しさを改めて思い、まだ結果が得られない現実に失望感が過ります。皆様と共に、“これから成すべき事は何か”を探る思いで、話を始めます。

私が経験から得たことばかりなので、反対のご意見も多々あると存じます。どうぞその辺はご勘弁をいただき、お読みくだされば幸いでございます。

私は28年前に静岡に住まいを設けました。日本はバブル時代と呼ばれ、東京は好景気に浮かれていました。第三次産業革命(パソコン・インターネット)と呼ばれる激動の時代でした。当時主人は外国資本のハイテク産業の日本法人の代表取締役としてアジア太平洋地域での販路開拓を行っておりました。欧米では夫の社交の場に妻が同席するのがよしとされており、私も東京で行われるパーティーや、海外出張に同行して妻としての役割を忙しく果たしておりました。

息子の中学進学を機会に、東京から離れて豊かな自然中でゆったりと息子の成長を願いたいと静岡に移りました。それは駿河湾とお茶畑そして富士山を眺め、必要な時には東京に戻る理想的な生活でした。それが1020年と時が経つにつれ、家の周りからお茶畑がなくなっていきます。山は放置された茶園が目立ち、加速的に荒れていきます。大好きな静岡の自然と景観を守りたい、私にも何かできないかとの思いで、紅茶の会社を起業することになりました。

 会社設立

私が会社を設立した当時は今より国産紅茶というものに生産者も販売業者も消費者も興味がない時代でしたので、市場を開拓すること、品質が高くで安定した美味しい紅茶を作ることの2つの事業を同時に始める必要がありました。

紅茶を製造している茶農家さんを探し歩き、紅茶を買い求め試飲をする毎日が始まりました。昭和28年頃には海外への輸出の需要があり、国産紅茶の生産量が約8,000トンを超えたようです。この当時、紅茶を製造していた茶農家さんや、親が紅茶を製造しているのを傍らで見て育った茶農家さんが静岡県には多くおられ、幸いなことに年間数キロを自販するために作り続けていました。半年ほどかけて、川根に一軒、藤枝に一軒、品質の良い紅茶を作られている茶農家さんと出会うことができました。

これを機に平成18925静岡紅茶株式会社を設立。大きな夢を抱いての出発でした。

 

荒茶仕入の苦労

 販路が開けていく中、商品の材料となる紅茶の供給が増えず悩むことになります。原因は生産者である茶農家さんと販売業者である私との間で紅茶の品質に対して価値観の違いがあったからです。この時、売れない2番茶を紅茶にでもして売るという考えが出回っていました。売れない葉を発酵したら売れるの??歴史を振り返ると答えが見えてきます。

 明治政府は富国のため茶業振興に力を注ぐことになり、明治7年に紅茶製造書が編集され各府県に配布、紅茶の製造を奨励しました。また政府は多田元吉を勧業寮に登用しました。−それからの彼の話は有名なのでここでは省略−昭和28年には品種登録制度が始まり、紅茶用品種としては茶農林一号である「べにほまれ」をはじめ「いんど」、「はつもみじ」、「べにたちわせ」などが登録されました。昭和26年これらの品種はロンドンの市場にサンプルが送られ、非常に高い評価を受けています。遅れて平成5年にべにふうきが品種登録されました。これらの紅茶用品種育成の目的が答えになります。

 政府において、明治7年から始まった紅茶製造の研究は、農林省茶業試験場枕崎支場において紅茶品種育成試験の取り纏めがなされ終了となる昭和59年まで110年に及ぶ研究がなされたことになります。この幕引きを行ったのが、農学博士日本茶業学会会長、武田善行様と聞いています。幸運なことに、私はこの研究成果を「国産原材料サプライチェーン構築事業」で学ぶことができました。

 国産原材料サプライチェーン構築事業

 国産紅茶を商品として市場に販売するには品質の良い紅茶が安定して仕入れられる環境をつくらなければなりませんでした。そこで農水省の国産原材料サプライチェーン構築事業に「茶業の衰退に歯止めをかける施策として、高品質の紅茶製造技術を学ぶ取り組みと大量販売の為の市場開拓行う取り組みを行う事業」として公募いたしました。幸せなことに採択されたのです。

 無農薬・有機栽培の御殿場の茶農家さんと春野の茶農家さん、そして川根の茶農家さんの3名にご参加いただきました。紅茶製造と茶樹の育成の指導に武田善行様、紅茶の香りの指導に京都大学名誉教授 坂田完三様、国産紅茶の知名度向上の取り組みの指導に元静岡県茶業試験場長 小泊重洋様、3名の先生をお迎えして2年間の事業が行われました。

求める紅茶の姿

  “本当の香りを知らずして本物は作れない”、それは世界で評価の高いお茶の香りを知ることから始まりました。坂田完三様から台湾、中国の発酵茶、半発酵茶を送っていただきました。萎凋香のある華やかなものが多く、それらはのど越しが良い高級品です。試飲し、自分の鼻や舌で味わいながら香味を覚えていきました。坂田完三様が研究された、茶の香り関する論文を読み、さらに基礎知識を深めました。自分の求める紅茶の姿がおぼろげながら見えてきました。

 大量生産型からクラフト紅茶へ

 会社設立当初は大量販売を目指していたので、販売先をスーパーマーケット、デパート、県内のお土産店に販路を求めました。これらの量販店の求める納品価格は安く、量を売らなければ利益になりません。しかしながら「国産原材料サプライチェーン構築事業」終了後も、仕入れる紅茶の質、量、価格ともに安定できず、大量販売は無理と判断をせざるを得ない状況になっておりました。この苦境の時に、藤枝の茶農家、向島宏様と片山博雄様との出会いが静岡紅茶株式会社の方向を大きく変える力となりました。紅茶用に育成した生葉の供給に協力をしていただく約束をしてくださったのです。

 平成24年クラフト紅茶製造の始まりです。武田善行様が提案する「クラフト紅茶」の考えを私なりに次のように理解し、実行しております。

1.紅茶の香味は品種が持つ遺伝子以上のものは生まれない。

2.紅茶の品質は生葉の品質で決まる。

3.紅茶製造は決められた手順を正確に行う。 

興味深いことに、イギリスのGreat Taste Awardでの評価は向島宏様のべにふうき種は3年連続二つ星、後に三つ星受賞となりますが、片山博雄様の在来種は4年連続一つ星の受賞です。この事こそが品種の持つ能力の違いによる結果でしょう。そして茶樹を育てている茶農家さんのご尽力なくして品質の良い紅茶は作れません。

 現在は「クラフト紅茶」にご理解を頂き協力してくださる茶農家さんも増えてきました。本当に嬉しく感謝の気持ちでいっぱいです。